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Phantom AI、カメラだけで商用車ADASを実現——Honda出身CTOの低コスト戦略

大型トラックの死角による事故は、米国だけで年間約4,000件の死亡事故を引き起こしている(NHTSA統計)。商用車の安全性向上は業界の最優先課題だが、高価なLiDARやレーダーを搭載したADAS(先進運転支援システム)は1台あたり数千ドルのコスト増になり、利益率の薄いフリート事業者には導入のハードルが高かった。

この問題に「カメラのみ」で挑むスタートアップが、シリコンバレーを拠点とするPhantom AIだ。Honda出身のHyunggi Cho(チョ・ヒョンギ)CEOが2016年に創業し、これまでに累計**$55M(約82.5億円)以上を調達。ディープラーニングベースの画像認識技術により、カメラだけで前方衝突警報(FCW)、自動緊急ブレーキ(AEB)、車線逸脱警報(LDW)、死角警告(BSW)といったADAS機能を商用車に提供する。LiDARやレーダーが不要なため、1台あたりのコストを$200〜500(約3〜7.5万円)**に抑えられるのが最大の武器だ。

Phantom AIとは

Phantom AIは2016年にカリフォルニア州マウンテンビューで設立されたADASテクノロジー企業だ。創業者兼CEOのHyunggi Choは、Hondaのシリコンバレー研究所で自動運転技術のリサーチリードを務めた経験を持つ。Hondaでの経験を通じて「乗用車ではテスラやWaymoが圧倒的に先行しているが、商用車のADAS市場にはまだ大きなギャップがある」と確信し、起業に至った。

企業概要

項目詳細
設立2016年(カリフォルニア州マウンテンビュー)
CEOHyunggi Cho(Honda Research Institute出身)
累計調達額$55M以上(約82.5億円)
主要投資家Accenture Ventures, Translink Capital, SBI Investment
従業員数約80名(2026年時点)
対象市場商用車(クラス3〜8)ADAS
技術カメラベースADAS(LiDAR/レーダー不要)
主要特許単眼深度推定、リアルタイム物体検出関連で30件以上

Honda出身CTOの技術ビジョン

Cho CEOのHondaでの経験は、Phantom AIの技術戦略に色濃く反映されている。Hondaは「Honda SENSING」ブランドでカメラ+ミリ波レーダー方式のADASを乗用車に標準搭載しているが、Choはこの開発過程で「レーダーを取り除いてもカメラ単体でADAS機能の大部分を実現できる」という知見を得たという。

2020年代に入り、ディープラーニングによる単眼深度推定(Monocular Depth Estimation)の精度が飛躍的に向上したことで、この仮説は現実のものとなった。Phantom AIの現行システムは、カメラ映像から前方200m以内の車両・歩行者・自転車を検出し、距離を推定する精度において、レーダーと95%以上の相関を達成しているとされる。

カメラベースADASの技術

Phantom AIのシステムは、「カメラのみ」でどのようにADAS機能を実現しているのか。その処理フローを以下の図で示します。

Phantom AI カメラベースADASシステムの処理フロー。カメラ入力からAI処理、判断・制御、ADAS機能出力までのエンドツーエンド処理

この図が示すとおり、複数のカメラ映像をエッジSoC上でリアルタイム処理し、50ms以下のレイテンシでADAS機能を実行しています。

コア技術の詳細

1. 単眼深度推定(Monocular Depth Estimation)

通常、カメラ1台では距離(深度)の計測が困難だ。人間が2つの目で奥行きを認識するように、ステレオカメラやLiDARが一般的に用いられる。しかしPhantom AIは、大規模な教師データで訓練されたCNN(畳み込みニューラルネットワーク)を用いて、単眼カメラの映像から深度マップを生成する技術を確立した。

この技術により、前方の車両までの距離を誤差5%以内(100m以内の場合)で推定できる。商用車のADAS機能(FCW、AEB)に必要な精度を十分に満たすレベルだ。

2. マルチタスク推論アーキテクチャ

Phantom AIのAIモデルは、1回のフォワードパスで複数のタスクを同時に処理するマルチタスクアーキテクチャを採用している。

  • 物体検出: 車両、歩行者、自転車、動物、障害物の識別と位置特定
  • 車線認識: 車線マーキングの検出と走行レーンの特定
  • 距離推定: 検出物体までの距離計算
  • 行動予測: 前方車両の減速・車線変更の予測

これらを単一モデルで処理することで、タスクごとに別モデルを走らせるアプローチと比べて計算コストを60%以上削減し、低消費電力のエッジSoCでもリアルタイム処理を実現している。

3. エッジ推論の最適化

Phantom AIのソフトウェアは、NVIDIA Jetson、Qualcomm SA8000P、NXP S32Gなど、複数のエッジSoCプラットフォームに対応している。モデルの量子化(INT8)やプルーニングにより、推論速度30FPS以上、エンドツーエンドレイテンシ50ms以下を達成。これにより、専用のAIチップ(MobileyeのEyeQ等)を使わずに、汎用SoCでADAS機能を動作させることが可能だ。

対応するADAS機能

機能説明対応規格
AEB(自動緊急ブレーキ)前方の衝突を検知し自動ブレーキFMVSS規格対応
FCW(前方衝突警報)前方の衝突リスクを音声・表示で警告Euro NCAP 2026基準
LDW(車線逸脱警報)車線逸脱を検知しドライバーに警告FMVSS 126対応
BSW(死角警告)サイドカメラで死角の車両・歩行者を検知ISO 17387準拠
ACC(車間距離制御)前方車両との車間を自動制御Level 2対応
DMS(ドライバー監視)ドライバーの注意散漫・居眠りを検出EU GSR 2024対応

商用車向けADASのニーズ

なぜ商用車にADASが特に必要なのか。そこには、乗用車とは異なる深刻な構造的課題がある。

大型トラックの死角問題

クラス6〜8の大型トラックは、車体の大きさゆえに乗用車よりもはるかに大きな死角を持つ。特に右側面(北米の場合)と車体直後は「ノーゾーン」と呼ばれ、ドライバーのミラーでは確認できない領域が存在する。NHTSAの統計によると、トラック絡みの死亡事故の約**28%**が車線変更時や右左折時の死角に起因している。

カメラベースのBSW(死角警告)システムがあれば、サイドカメラとAI画像認識で死角内の歩行者・自転車・車両を検出し、ドライバーにリアルタイムで警告できる。これだけで年間数百件の死亡事故を防げる可能性がある。

規制の強化

米国では2029年までに、車両総重量4.5トン以上のすべての新車にAEB(自動緊急ブレーキ)の搭載が義務化される見通しだ(FMVSS改正案)。EUでもGSR(General Safety Regulation)2024により、すべての新型商用車にAEB、LDW、DMS(ドライバー監視システム)の搭載がすでに義務化されている。

この規制トレンドにより、商用車メーカーやフリート事業者はADASの導入を避けて通れなくなっている。問題はコストだ。

コストの壁

従来のADASシステム(Mobileye Shield+やContinental ProViu ASL 360等)は、カメラ+レーダー+LiDARの組み合わせで1台あたり**$2,000〜5,000(約30〜75万円)**のコストがかかる。10万台規模のフリートを運営する大手物流企業なら吸収できるが、50〜200台規模の中小運送事業者にとっては無視できない負担だ。

Phantom AIの「カメラのみ」アプローチは、この問題を根本から解決する。ハードウェアコストは汎用カメラモジュール($50〜100)+エッジSoC($100〜200)で済み、ソフトウェアライセンスを含めても**1台あたり$200〜500(約3〜7.5万円)**に抑えられる。

競合との比較

商用車向けADAS市場には、大手Tier 1サプライヤーとスタートアップが混在する。以下の図で、主要プレイヤーの技術的な位置づけを比較します。

商用車向けADAS市場の主要プレイヤー技術比較。Phantom AI、Mobileye、Continental、ZF(旧Wabco)、StradVisionのセンサー方式・ADAS Level・顧客・コスト・特徴を比較

この図が示すように、Phantom AIとStradVisionが「カメラのみ」の低コスト路線、Mobileye・Continental・ZFが「マルチセンサー」の高機能路線をそれぞれ追求しています。

Mobileye(Intel傘下)

ADASチップの世界最大手であるMobileyeは、独自のEyeQプロセッサとカメラセンサーの組み合わせで乗用車市場を支配している。2025年時点で累計出荷数は2億台以上に達する。商用車向けには「Mobileye Shield+」を展開しており、8つのカメラで360度の歩行者・自転車検知を行う。

しかしMobileyeのシステムは、EyeQチップとMobileyeのカメラモジュールがセットでなければ動作しないクローズドなエコシステムだ。これに対しPhantom AIは、汎用のカメラモジュールとSoCで動作するオープンなソフトウェアプラットフォームであり、OEMやTier 1の選択の自由度が高い。

Continental

ドイツの大手Tier 1サプライヤーContinentalは、トラック・バス向けにProViu ASL 360(360度サラウンドビュー)やProViu Mirror(電子ミラー)などのADAS製品を展開している。Daimler TruckやVolvo Trucksとの長年の取引関係が強みだが、フルスタックの統合ソリューションゆえにカスタマイズの柔軟性に欠ける面がある。

ZF(旧Wabco)

ZFは2020年にWabcoを$7Bで買収し、商用車向けブレーキ・ADAS市場で圧倒的なシェアを持つ。AEBとの統合ではZFが最も実績があるが、システムの世代交代が遅く、AI/ディープラーニングベースの次世代ADAS対応ではPhantom AIやStradVisionに後れを取っている。

StradVision

韓国発のスタートアップStradVisionは、Phantom AIと同様にカメラベースの認識ソフトウェア「SVNet」を提供する。Hyundai Mobis、LG、Elektrobitとの提携で乗用車向けに展開を進めているが、商用車向けの実績ではPhantom AIに一日の長がある。

項目Phantom AIMobileyeContinentalZFStradVision
センサーカメラのみカメラ+レーダー+LiDARマルチセンサーカメラ+レーダーカメラのみ
1台あたりコスト$200〜500$500〜2,000$800〜2,500$600〜1,500$150〜400
商用車実績中(急成長中)最大小(乗用車中心)
柔軟性高(汎用SoC対応)低(EyeQ専用)
AI世代最新(Transformer)EyeQ6世代移行中旧世代最新

日本の商用車安全規制と技術動向

日本の規制環境

日本は商用車の安全規制において、世界的にも先進的なポジションにある。

衝突被害軽減ブレーキ(AEBS)の義務化

国土交通省は、2021年11月以降の新型車(車両総重量3.5トン超)にAEBSの搭載を義務化した。2025年からは継続生産車にも適用が拡大されており、日本の商用車メーカーは対応を完了している。

側方衝突警報装置(BSIS)の義務化

2024年からは、車両総重量8トン超のトラックに対してBSIS(Blind Spot Information System)の搭載も義務化された。左折巻き込み事故の多い日本において、特に重要な規制だ。

ドライバー監視システム(DMS)

EU GSR 2024に準じる形で、日本でも2026年以降の新型車にDMSの搭載が検討されている。居眠り運転やわき見運転の検知は、長距離トラックドライバーの安全確保に不可欠だ。

日本メーカーのADAS動向

日野自動車

日野はMobileye Shield+を採用した360度歩行者検知システムを大型トラック「プロフィア」に設定している。また、ADASと電子ミラーの統合も進めており、2026年モデルからは全モデルにカメラモニタリングシステム(CMS)が標準装備される見通しだ。

いすゞ自動車

いすゞは自社開発のADASプラットフォーム「MIMAMORI」を展開し、フリート管理と安全運転支援を統合的に提供している。2025年にはAEBS性能を向上させた新型ギガを発売し、交差点右左折時の歩行者検知にも対応した。

三菱ふそう

Daimler Truckグループの三菱ふそうは、Continental製のADASシステムを搭載した「スーパーグレート」「キャンター」を販売している。EVモデル「eCanter」にもADAS標準搭載が進んでいる。

UDトラックス(Volvoグループ)

Volvoグループの一員であるUDトラックスは、Volvo Trucksと共通のADASプラットフォームを活用し、日本市場向けにローカライズして展開している。

Phantom AIモデルの日本市場への示唆

Phantom AIのような「カメラのみ・低コスト」ADASは、日本の商用車市場に以下のインパクトを与える可能性がある。

1. 既存車両へのレトロフィット需要

日本の商用車の平均使用年数は約12年と長く、新車にADASが義務化されても、既存車両の多くはADAS非搭載のまま運行を続ける。カメラベースのADASなら後付けが容易で、既存フリートの安全性を低コストで底上げできる。

2. 中小運送事業者への普及

日本のトラック運送事業者は約6.3万社あり、その約99%が中小企業だ。車両50台以下の事業者がADASを導入するには、1台あたりのコストが決定的に重要になる。$200〜500(約3〜7.5万円)のPhantom AI方式であれば、50台フリートでも150〜375万円の投資で全車対応が可能だ。

3. ドラレコとの統合

日本の商用車の多くにはすでにドライブレコーダー(ドラレコ)が搭載されている。Phantom AIのソフトウェアは汎用カメラに対応するため、ドラレコのカメラ映像をADAS処理に流用するソリューションが理論上は可能だ。デンソーテンやパイオニアなど日本のドラレコメーカーとの協業があれば、既存インフラを活用した低コスト導入が実現する。

ビジネスモデルと成長戦略

収益モデル

Phantom AIの収益は、大きく3つの柱で構成されている。

1. ソフトウェアライセンス料(主力)

OEMやTier 1サプライヤーに対して、ADASソフトウェアのライセンスを1台あたり$100〜300で供与する。量産車両に組み込まれるため、車両の販売台数に比例して収益が拡大するスケーラブルなモデルだ。

2. ハードウェアキット(レトロフィット向け)

既存車両へのレトロフィット向けに、カメラ+SoC+ソフトウェアの一体型キットを$400〜500で提供する。フリート事業者が自社の整備工場で取り付けられるよう、プラグアンドプレイ設計になっている。

3. クラウドサービス(データ分析)

車両から収集される走行データをクラウドに集約し、フリート全体の安全スコアリング・リスク分析・保険料最適化レポートを月額サービスとして提供する。

成長ロードマップ

フェーズ期間目標
Phase 12024〜2026北米商用車OEM 3社以上と量産契約
Phase 22026〜2028欧州・日本市場参入、年間50万台出荷
Phase 32028〜2030Level 2+/Level 3対応、自動運転パートナー連携

市場規模と将来展望

グローバルADAS市場

商用車向けADAS市場は、2025年時点で約**$15B(約2.25兆円)規模と推定されている(MarketsandMarkets)。2030年にはAEB・LDW義務化の拡大により$35B(約5.25兆円)に成長する見通しだ。年平均成長率(CAGR)は約18%**と、乗用車向けADAS市場(CAGR 12%)を上回るペースで拡大が続く。

カメラベースADASの伸びしろ

現在の商用車ADASの約**70%がマルチセンサー(カメラ+レーダー+LiDAR)方式だが、カメラのみ方式のシェアは2025年の10%から2030年には25〜30%**に拡大するとの予測がある。AI画像認識の精度向上が、この転換を加速させている。

Phantom AIがこのカメラベース市場の10%を獲得するだけでも、年間$350M〜$1B(約525〜1,500億円)の売上ポテンシャルがある。同社が次の資金調達ラウンドやIPOに向けて、いかに量産契約を積み重ねるかが注目される。

まとめ

Phantom AIは、「カメラのみ」という大胆な技術選択で商用車ADAS市場の価格破壊を仕掛けている。Honda出身のCTOが率いる技術チームのディープラーニング能力と、LiDAR/レーダー不要の低コスト構造は、特に中小フリート事業者や既存車両のレトロフィット需要で大きな競争優位性を持つ。

日本の商用車市場においても、AEBS義務化の拡大やドライバー不足問題を背景に、低コストADASへのニーズは今後さらに高まるだろう。Phantom AIのような「ソフトウェア定義型ADAS」が日本のドラレコメーカーや商用車OEMと手を組む日が来れば、日本の物流安全に大きなインパクトを与える可能性がある。

アクションステップ

  1. フリート事業者・運送会社: 自社車両のADAS搭載率を棚卸しし、AEBS・BSIS義務化スケジュールと照らし合わせて未対応車両の対策計画を立てる。カメラベースADASのレトロフィットソリューションは、新車への買い替えよりも大幅に低コストで規制対応が可能だ
  2. 自動車部品メーカー・Tier 1: Phantom AIやStradVisionのようなカメラベースADASスタートアップとの提携を検討する。特にドラレコメーカーは、既存のカメラハードウェアとの統合で新たな高付加価値サービスを生み出す好機がある
  3. 投資家・VCファンド: 商用車ADAS市場はCAGR 18%で成長する$35B市場であり、カメラベース方式のシェア拡大は確実なトレンドだ。Phantom AIの次回ラウンドやIPO動向、およびMobileyeの商用車戦略転換を注視し、この領域でのポートフォリオ構築を検討すべきだ

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